もぐもぐと独逸

ならでは食と独逸物語。

003 ポルトガル美食記 before coronaーカフェ「ア・ブラジレイラ」

誤算

 ベビーカーを持ってきたのは、旅で楽をするためだ。小さい子どもを抱っこするより乗っていてくれたほうが体力を消耗しない。でもそれはあくまでドイツに限定すれば、という話だったらしい。

 

ポルトガルに到着してから数時間後、ナツさんと私は、自分たちが苦難に満ちた旅をしていることに気づいていた。リスボンの地下鉄と美しい石畳や坂道が、ベビーカーで優雅に街を遊覧することを途方もなくむずかしくしていた。

 

「抱っこ紐で来ればよかったんだ。」

 

額からだらだら汗を流しながら、ナツさんが、疲労困ぱいした声で呟いた。ドイツの石畳みにも強い、どでかくてがっしりとしたベビーカーは、ドイツではとても役に立つのに、ここポルトガルではむしろ必要のない乗り物だった。観光するにはリスボンメトロが便利だけれど、地下鉄に乗り、街中につながる駅に降りると、地上に出るまで延々と階段を上がらなければならない。

 

駅中にエレベーターがあるとは限らない。あっても壊れていたり、見つからなかったりする。エスカレーターがあるとも限らない。同じ駅でも、階段の踊り場がいくつもあり次の階段にはエスカレーターがないこともある。エレベーターもエスカレーターもない場合には、ナツさんが重量10キロ超えのベビーカーを持ち、私がコナツを抱えて一段一段上がらなければならなかった。

 

くわえて、地上に着くまでに十分体力を消耗するのに、地上に出たあとの、リスボンの坂道のきつさと言ったら…! この急な坂道こそがリスボンの美しさでもある。が、子連れベビーカーで歩くと骨が折れる。抱っこひもでコナツを体に密着させて、街を周ったほうがいくらかいい。ガイドブックをよく読まず見出しだけ見て「リスボンは気ままに歩くのがよい」なんて文句をそのまま初日から実行したからこんなことになったのだ。自分たちの無計画さを、このとき初めて後悔した。リスボンは坂道の多い街。そんなことは事前に調べていればわかることだし、この急勾配を知っていれば、ベビーカーを持ってくることもなかった。

 

 カフェ・ア・ブラジレイラ

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疲れがピークに達していたちょうどそのとき、目の前に、深い歴史を感じるカフェが現れた。場所はシアード地区、ガレット通り。店の入り口には、黒い文字で、『ア・ブラジレイラ』とある。カップを手に笑う男性が彫りこまれ、深緑の柱が、そのまま細く伸びてミートパイのパイ生地のように重なり合って窓を飾っており、男性をしっかりと支えている。老舗のカフェに違いない。

 

「ぼく、ここ好きだ。」

 

ナツさんはそう言ってしばらく店を観察したあと、入口からゆっくりと店に入った。地下はレストラン、地上階はカフェ兼バーになっている。地下に行かずまっすぐ歩いていくと、素敵なシャンデリアが出迎えてくれた。木製のカウンターが美しく伸びていて、外の明るい雰囲気から一転、豪奢ながらもうす明るく、落ち着いている。横でナツさんがどんどん引きこまれていくのを感じた。好みのカフェなのだろう。地元の人らしい人も何人かカウンターやテーブル席に座って談笑している。席によって同じメニューでも料金が違い、カウンター席、テーブル席、テラス席の順に高い。私たちは奥のテーブル席についた。

 

注文したのは、エスプレッソとオレンジジュース、エッグタルトのパステル・デ・ナタ。ナツさんはエスプレッソを一口飲んで「旨い。」と一言。オレンジジュースはよく熟れた生絞りのジュースで、コナツはストローを離さなかった。そして、パステル・デ・ナタ。これまで食べたどんなエッグタルトよりもコクがあって、甘さもちょうどよく、生地もサクサクしている。ほっぺたが落ちる。

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エスプレッソとジュースを飲み干しエッグタルトを平らげるころには、私たちは幸せな気分に満たされていた。ポルトガルに来てよかった。心からそう思えた。店から出ると、それまでの苦労は吹き飛んでいて、夕暮れのリスボンは輝いて見えた。