パオン・デ・ロー
ベレンに到着した私たちは、発見の塔に向かいながら、カステラの原型になったパオン・デ・ローが食べてみたくて、お店を探していた。美味しい店がきっとあるはずだけどどこに行けば食べられるんだろうかと、ゴソゴソとスマホを取り出しながら。
おなかが、グルグルと鳴った。ナツさんが怪訝な顔をする。
「あれだけ食って、まだ食べたりないの?」
たしかに空腹のときのような音を立てたかもしれない。そして、昼ごはんにあれだけたらふく食べていながら、ちょっと消化してきたからといって「カステラの原型が食べたい」という私に、まだ腹が空いてるのかと呆れるのも無理はない。でも、おなかが鳴ったのは空腹からではない。食べ過ぎからだ。
「トイレ!」
そのとき、私たちはバスに乗っていたと記憶している。窓からトイレのありそうな店がないか、黙々とチェックし、運よく小さなパン屋さんを見つけ、近くのバス停ですぐに下車し、パン屋さんに走る。外の風景や店の名前はよく覚えていない。のどかな場所だった気がする。とにかくナツさんがカウンターでコーヒーを注文している間に、店の人に確認して、急いでトイレに向かった。突然母親がいなくなって泣いているコナツの声が響いていた。
が、トイレから出てくるとコナツは泣き止み、ナツさんは一点を見つめている。パンの並ぶウィンドウの中に、パン・デ・ロウがあったのだ。
「どうする? ほかで探しても見つからないかもしれない。」
「買う。」
即答する私にもう一度呆れながら、ナツさんは財布を出した。会計をすませ、つぶさないように大切に包みを持って、私たちは店を出た。
途中、公園の木陰で休んだ。陽だまりのなかで食べたパオン・デ・ローは、日本のカステラとはまるで別物だった。メロンパンとは違うけれど、少し似ているような気もする。少しやわらかい、とてもシンプルなお菓子だ。
発見のモニュメントに到着すると、すぐそばに、ジェロニモス修道院が見えた。エンリケ航海王子やヴァスコ・ダ・ガマに敬意を表して16世紀初めに着工した修道院は、完全に完成したのはじつは19世紀だったという。完成が大幅に遅れたとはいえ、黄金時代に建て始めたジェロニモス修道院は豪華絢爛。見てみたかったけれど、今回は時間がなかった。
発見のモニュメントには、先頭にエンリケ航海王子がいる。日本でもよく知られているヴァスコ・ダ・ガマやフランシスコ・ザビエル、マゼランも彫られている。間近で見ると、大きい。修道院の美しい外観や発見のモニュメントの大きさに圧倒されて、歴史に思いをはせていたら、目の隅に、先頭の人物と同じポーズをとるナツさんが見えた。ぼんやりと歴史に浸る気分にもさせてくれないのが、ナツさんである。つっこんだか、そのまま流したかは覚えてない。
オレンジ
ホテルの受付に設置されたオレンジスライス入りウォーターサーバーを見てから、ポルトガルでは、オレンジが特別な果物なのではないかと感じていた。飲料水に檸檬を入れて飲んでいる学生はドイツの語学学校でも珍しくなかったけれど、オレンジは見たことがない。透明な飲料水にオレンジスライスが踊っている様子は洒落ている。ポルトガルの強烈な太陽に体が参らないための知恵でもあるのだろう。
ベレンの塔と海に見惚れながらカフェで飲んだのは、そのオレンジを絞った濃厚なジュースだった。とろりとしていて、自然な甘さがあって、癖になってしまう。
「一口ちょうだい。」
ナツさんが横から手を伸ばした。ゴクリ、ゴクリ、ゴクリ。止まらない。
「一口って言ったじゃない!」
キレ気味の声を出してみたものの、ナツさんはにやりと笑ってかわしてしまった。くわえてコナツも欲しがり美味しそうに飲むので、私の飲む分は結局少なくたりなかった。
太陽がカンカンと照っていて、麦わら帽子や水分補給は必須。私にもコナツにも日焼け止めは手放せなかった。暑くてもう一杯飲み物が欲しくなり、飲んだレモネードが塩味で驚いた。ドイツのものは蜂蜜やミントが入っていて、炭酸水で割ってあるけれど、ポルトガルの暑さのもとで飲むと、たしかに甘い蜂蜜より塩のほうがいいかもしれない。ドイツも最近40度を超えることがあるけれど。
さんさんと降りそそぐ太陽の下、海は美しかった。16世紀の初めに建てられたベレンの塔は、正式な名前を「サン・ヴィセンテの砦」という。大航海時代、航海を終えて無事に帰り着いた船乗りたちを受け入れた要塞。マヌエル様式がとても美しく白いドレスをまとった貴婦人のようだと言われている。
しばらく目を奪われて、飲み物を手に、輝く海と白いベレンの塔をじっと見ていた。そのあとはリスボン中心部に戻り、カフェ「ア・ブラジレイラ」で一休みして、中心街の洒落た店で夕食を食べ、夕刻でも治安のよいリスボンの街に感謝しながら、心地のよい疲れとともにホテルへ帰った。